「 宮様と高松中学校の生い立ち 」
10.校歌発表と制定
校数発表と制定 昭和二十六年二月二十四日 この日、校歌試作曲発表、制定の日となった 作詞者 巻島さんは、本名を池田正之といい巻島強力はペンネームです。 若い頃、サトウ・ハチローと親交があって、彼から強い影響を受けた。詩についても彼 なりの意見を待っていて「わかりやすい言葉でなければいけない」ということだったので、 やさしい言葉の詩を書いて提出、よもや入選して校歌に決定するとは思わなかった。 中学に通う生徒を毎朝見ていて、その姿を詩に表現してみたかったのと学校を文化の花 園と見立てたのが着想。 作曲者 白石顕雄さんは当時、芸大を出たばかりの新進の作曲家で、この時二曲作ってくれまし た。一曲は荘重な感じで式典の時に、もう一曲は少しテンポの速いメロディで運動会など で歌ったらということで両曲とも採用して、校歌A、校歌Bとしました。 (十周年記念号より) 長い校舎 長い校舎で一番ご普労だったのは、田中用務員さんだったと思います。 当時用務員室は玄関の一番手前でしたし、サイレンやベルがなく、授業の開始、終了の たびに、長い廊下を鈴を鳴らして、往復二百メートルは歩いたのではないでしょうか。