「 宮様と高松中学校の生い立ち 」

             4. 開校までの関係者のご苦労

                               


     開校までの関係者のご苦労

     ○当時同地は既に高松宮家の所有から離れ、引揚者や周囲の方々の食糧の補給地として
      色々の野菜を作っておられたので、これを開放していただくのに苦労した。
                  (初代PTA会長 大竹平八郎氏)
     ○この土地の払下げ運動を起し、都知事、港区長などにも陳情を繰返し、大変お骨折りを
      いただきましたが、高松官殿下の「この土地を教育施設に生かして欲しい。」との
      こ意向が強くございましたので、そのお陰をもちまして、開校の運びとなったので
      ごぎいます1
                  (校医 平山羊介氏)

     長坂亨三初代校長の思い出

      母校を愛し、恩師をいつまでも大切にできるのは教育的環境によるものと思われる。
      初代校長の今は亡き長坂亨三先生は、理科教育の第一人者で、人望の篤い学
      者肌の温厚な人柄であった。
      先生の魅カにひかれて、私が高松中学に赴任したのは異動の時期を外れた開
      校二年目の夏であったが、個性豊かな優れた教職員が既に大勢そろっていて、
      職員構成は素晴しいものであった。当時の校長には人事の権限が大幅にあった
      からであろう。
       従って、創立当時の在校生は知・徳・体のあらゆる面からずいぶんと鍛えら
      れ、スポーツの成績はもとより自由選択の当時にあって進学率も抜群であった。
      当時の卒業生が今では保護者となって、自分の子を母校に通わせ、PTAの
      役具や会員として母校の面倒を見てくれているのは心強いことである。
                  (元教師 大島韓一)