「 宮様と高松中学校の生い立ち 」

               3.本校の由来

                                  

 

                本校の由来
   大正三年二月二十四日より東宮御所となること約十年、昭和二年高松宮宣仁殿下が御新
   居をここに作られ、今日の高輪御殿として、麹町三年町より御移りになられたのは同年
   八月三十日である。ちなみに本校の校名を仰ぐ高松宮の御家名は、後光明夫皇の朝に
   御二代で御中絶、御三代よりは、有楢川宮と御改称なされ、御継承遊ばされなかったのを、
   大正天皇第三皇子、光宮宣仁親王殿下に高松宮の御称号を授けられたと承る。
    昭和二十四年四月七日、港区立白金小学枚に仮寓のまま新制中学枚として開校式典を
   挙げた本校は、かかるゆかしきかおりをこそと遂に、この地に一部校舎の落成を見たのは、
   同年の六月十一日である。往時を忍ぶ樹木にかこまれた運動場、斜丘を含めて約九千五百
   坪の地に港区立高松中学校を見るに至った。
    本校発足後も、あるいは御蔵書の御下賜、邸内プールの使用御許可に一方ならぬ御厚情
   を添うしているが、とりわけ殿下御自ら意匠を御工夫遊はされた校旗の御下賜は、関係者
   一同が深く感激している。